朝鮮人の来歴 前編 | Doronpaの独り言

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朝鮮新報(北朝鮮系の機関紙)によると昭和7年(1932年)に一戸建てを構える朝鮮人へ「なぜ日本に来たのか」という調査に対して、7割以上の朝鮮人が「食えないから日本にきた」と答えているそうです。なお、残りの3割近くの朝鮮人は学業、結婚などいわゆる自由渡航で日本に渡ってきています。


このデータ自体は労務動員(昭和14年~昭和20年)前のデータのため余り意味はありませんが、それでも日本が朝鮮半島を植民地化していない補完資料として価値があると思います。今回は労務動員の実態を簡単におさらいしてみましょう。


昭和12年(1937年)から始まった支那事変が泥沼化する中で問題になってきたのは国内産業の担い手です。とくに炭鉱労働など当時の花形産業だったエネルギー源供給産業については人手不足が徐々に深刻化していくことになります。このため日本国内の産業各社は朝鮮半島で人員を募集することになったのです。これを民斡旋と呼び昭和14年から昭和17年にかけて募集され、この民斡旋の下で日本に渡ってきた朝鮮人は約14万7000人に及んでいます。


しかし国内の人手不足はますます深刻化していく中で民斡旋だけでは必要な人材は到底賄いきれなくなっていくのです。そこで各面(村のような集合体)において斡旋事業を朝鮮総督府が代わりに行うこととなります。これを官斡旋と呼び、昭和17年から昭和19年にかけて行われました。この官斡旋で日本に渡ってきた朝鮮人は約30万人になっています。


ここで注意しなければならないのは民斡旋にしろ官斡旋にしろ、無理やりトラックに詰め込んで日本本土で働かせたということはあり得ないということです。当時の法律に照らし合わせても、それは「誘拐罪」にあたり厳罰に処せられるものでした。当時の日本は現在と同じく法治国家であり法を破れば罰せられる国家だったということです。


民斡旋をアルバイトニュースとするなら、官斡旋はハローワークのようなものであり、朝鮮人たちのいうところの強制連行とは何の関係もなかったというのが事実なのです。



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