日韓共鳴二千年史 | Doronpaの独り言

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前回から続けての書評になりますが、不思議なめぐり逢わせも含めて日韓関係史研究のバイブルとされる名越二荒之助先生の大著『日韓共鳴二千年史』(明成社、税込み3990円)を紹介します。

日韓研究に携わる人なら、恐らく誰もが一度は耳にした事が、或いは同書から引用したことがあるのではないかと思います。平成10年に第14回ヨゼフ・ロゲンドルフ賞を受賞した、
日韓関係史研究のバイブル的存在である同書は、綿密な構成と貴重な資料などで裏づけされた論によって、専門家或いは在野の研究家を問わず日韓関係史を研究する者に多大な影響を与えています。
同書は平成9年に出版された「日韓2000年の真実」(国際企画株式会社刊行)を改題し、日韓関係がクローズアップされた平成14年(2002年)に装いも新たに出版されたものです。

個人的にも本サイトなどの投稿文など、同書からの引用など様々にお世話になっていたのですが、一般の書店でなかなか見つからず図書館で貸し出してもらったり、或いはチャンネル桜の水島社長のご好意でお借りしたりといった形で同書を読ませて頂いておりました。
そんな時、先のチャンネル桜テレビ掲示板の収録の際に渋谷の大規模書店で同書を見つけたのですが、その時は他にも買うものなどが会った為、次に来た時に買おうと購入はしませんでした。このときは不思議と買う気が起こらなかったのも事実です。そして9月17日にテレビ掲示板の収録が行われるとのことで、渋谷のスタジオに向かう途中、時間がまだあったため書店に立ち寄り、この『日韓共鳴二千年史』を買うことが出来ました。

ここまでならどうということも無い話なのですが、その後に不思議なめぐり逢わせがあったのです。

同書を購入後、渋谷のチャンネル桜のスタジオに向かうと、ちょうど番組制作の方がいらっしゃったので色々とお話を伺っておりました。そこで、「先ほど、この『日韓共鳴二千年史』を買ったんですよ」と見せたところ、驚いた様子で「ちょうど、今収録している番組に名越先生がいらしているんですよ」と言うのです。
先生が出演された番組の収録も終わり、お帰りになる間際に制作の方から先生に紹介をして頂きました。
写真で見るより幾分お年を召されているようでしたが、日韓関係史研究の先駆者として多くの業績を残された尊敬すべき研究者の姿は、矍鑠として温和な表情を垣間見せていました。
先生から見れば孫のような年のまだまだ知識も経験も足りない青二才であるでしょうに、親しく声をかけて頂き、「よければ名刺交換を」と先生のほうから申し出て頂き恐縮の至りでありました。
普段滅多に出さないDoronpaの名刺を、正直このような名刺を出してよいのかとも思いましたが、先生にお渡しすると「日韓歴史問題研究会ですか?名前は横文字なんですね?」と仰り、せっかくなのでということで買ったばかりの『日韓共鳴二千年史』に「名越二荒之助」とサインを頂いたのです。

お帰りの間際だったので、挨拶程度にしかお話が出来なかったのですが、次にチャンネル桜の番組に出る時は「韓国の高天原故地」問題を取り上げるなどのお話をお聞きし、まだまだ先生が現役で日韓関係史研究の第一線にいらっしゃることを力強く思うものでした。

考えてみれば、最初に同書を書店で見つけていた時に買っていれば、少なくとも今手元にあるこの本に名越先生のサインは無く、またチャンネル桜へ行ったのもいつもより1時間以上早い時間で行ったからこそ、お帰り間際の先生に紹介して貰えたわけですので、
何とも不思議なめぐり逢わせを感じずにはいられません。

さて同書の話に戻しますが、700ページを超える大著のため、さすがに直ぐに全てを読みきることは難しいと思いますが、今後も同書からの興味深いエピソードなどをここでも紹介していきたいと思います。
同書における名越先生のスタンスは、極めて公平な立場に立たれるもので、日本側からの視点を失わず、しかしまた韓国側の視点にも留意して論を進めています。
同書は特に近代史以降に重点を置いて論じられていますが、古代史においても大変魅力的なエピソードを多数紹介しており、今回はその中の
耽羅神話を紹介します。
この耽羅とは、済洲島に栄えた古代の王国で、後に新羅や高麗などに侵略され同化されていきましたが、島国であったため独自の文化を今もなお伝えています。

済洲島の真ん中の大きな山の麓で、急に地面が膨れ上がり穴が開きました。その穴から高乙那、夫乙那、梁乙那の三神が生まれたのです。この三神は済洲島で漁をしたり木の実をとったりしてのんびり過ごしていたのですが、島には女性や家畜がいなかったため大変寂しい思いをしていました。
ある日、東の浜辺に、紫の泥で封をした大きな木箱が流れ着きました。木箱を開けると、中から老人一人と三人の女神(処女)が色々な家畜の子と米や麦など五穀の種をもって出てきました。
老人の話によれば、「
自分は日本の神の使いであるが、この国を治めようと神の子三人を送ったが、妻がおらず困っていると聞き、さらにここに三人の女神を送って大業をなさしめようと(日本の神は)思し召しである。」と言ってその老人は雲の中に姿を消し、残った三人の女神は先の三神の妻となり、多くの子供を生み穀物を育て、耽羅国を栄えさせたのです。

済洲島出身の呉善花女史も『攘夷の韓国 開国の日本』の中でこの話を取り上げており、日本国王が三人の神のために三人の処女を遣わした済洲島三女神の伝承を紹介しているそうです。
しかし、やはりというか日本が女神を遣わしたという部分が気に食わない輩もいるようで、韓国では「
三女神は百済王の娘」ということになっているそうです。

韓国人の屈折した対日感情によって歪曲される神話ですが、その神話が語りかける本当の言葉に耳を傾けるならば、「古代は朝鮮から日本への一方的関係のみ」という韓国人の妄言がいかに馬鹿馬鹿しいものか、そして古代朝鮮と日本の関係が相互にとっていかに深く絡み合ったものであったか、理解できるのではないでしょうか?



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