李朝の終焉 | Doronpaの独り言

Doronpaの独り言

日本第一党党首 / 行動する保守運動代表
桜井誠の公式ブログです。
時事問題や国際情勢などを記事にしています。
是非ご覧下さい!

李朝最後の末裔である李玖(イ・グ)氏が7月16日に日本のホテルの一室で亡くなりました。享年74歳。
李朝26代高宗の王子、英親王と李方子妃の息子である故人の死去で、李朝の嫡流が絶えました。

1931年に英親王の第二子として誕生し、第一子の晋が生後八ヶ月で亡くなった後は、李朝最後の直系となりました。戦後、日本と韓国を行き来し、何度か事業を起こすも失敗し、近年は日本でひっそりとマンション暮らしをしていたようです。

今回は李朝の姿をなぞってみたいと思います。

李朝とは、
1392年に高麗の武将だった李成桂が、高麗の恭譲王を討ち倒して建国し、1910年の朝鮮併合まで518年間続いた朝鮮王朝です。李成桂は現在では李朝初代の国王として知られますが、当時の中華帝国『明』からは、王位簒奪後も『高麗国事』(1392年~1393年)に封じられ、その後も『朝鮮国事』(1393年~1398年)としてだけ封じられており、正式に明から朝鮮国王に封じられたのは李朝第三代恭定王(1400年~1418年)からとなっています。『国事』とは国王代理の役職で、正式な国王として李成桂は認められなかったのです。

李成桂は高麗の恭譲王から王位を簒奪すると、直ちに明に使者を送り自ら王位に就くことを打診しましたが、明の太祖朱元璋はこれを許さず国事としてのみ封じたのです。さらに李成桂は、1393年に再び明に使者を送り高麗からの国名変更の許可を求め、その際に
伝説の箕氏朝鮮、衛氏朝鮮などの古朝鮮から由来する『朝鮮』と、李成桂の生地に由来する『和寧』の二つを示し、国号の選択を明に委ねたのです。結局、朱元璋は『朝鮮』を号することを許可し、李成桂を『朝鮮国事』に封じたのでした。

国号を他国に委ねるという一時から見て分かるとおり、李朝の中華帝国への事大ぶりは卑屈なまでの凄まじさで、李朝における王位の廃立は明や清という中華帝国に握られていました。
清帝国では直隷総督・北洋大臣が朝鮮を管轄していたことからも、朝鮮が国家としてはかなり低い位置に置かれているのが分かるかと思いますが、実際、朝鮮は属国というより奴隷国家のような扱いを受けていたのです。

歴代中華帝国へ宮廷慰安婦を献上することは、朝鮮王朝に半ば義務付けられており、『明実録』などによると永楽帝などは朝鮮貢女(宮廷慰安婦)をこよなく愛して、朝鮮から多くの貢女を集めており、中でも権賢妃は最愛の寵愛を受けた事が記されています。もちろん、宮廷慰安婦だけでなく、朝貢という形で莫大な貢物を中華帝国に幾度と無く送らなければならず、例えば清帝国に対しては1636年から1881年までの244年間の間に、朝鮮から清への朝貢はなんと500回を超えるに至っているのです。

いかに朝鮮半島が中華帝国から蹂躙されてきたかは、本サイトより

朝鮮は中国の属国ではなかった?
事大主義に見る韓国人の対中恐怖症

などをご覧下さい。

日本が日清戦争後の下関条約第一条で朝鮮の独立を明文化するまで、中華帝国の千年属国として常にその圧制を受け続けてきた哀れな国家が朝鮮王朝の姿なのです。

朝鮮王朝は1910年の朝鮮併合によって朝鮮半島が日本の一部となったことで名目上は消滅しましたが、皇帝はその地位に相応しい待遇を受け、王族も日本の爵位を受けて貴族となり、1948年の韓国建国以降も朝鮮王朝の血筋は存在していたのです。もし韓国人たちが本気で李朝復活を願ったならば、それは可能だったのです。
李朝を楽園だった如く教える韓国ですが、では何故悪辣なる日帝から解放された後に李朝復活を願わなかったのでしょう?

2005年7月16日、李朝の歴史は完全に幕を閉じました。




人気ランキングバナー

↑↑↑
このブログを支持される方はこちらをクリックしてください。



-------------お知らせ-------------

第一回公開シンポジウム
ネット言論から始まる韓国問題 ~暴走する韓国の反日~


主催:日韓歴史問題研究会 (代表Doronpa)
日時:2005年7月30日 (土曜日) 

    13:00~17:00 (開場12:30~)
場所:都営新宿線船堀駅下車直ぐ タワーホール船堀 4F 研修室
入場料:500円 (パンフ代込み 高校生以下無料、当日学生証を持参下さい)


準備会合の様子その4

第八回準備会合の様子(7月24日)


シンポジウム告知サイトはこちら をクリックしてください。

※7月25日更新


また現在参加人数把握のためのスレッド を立てております。
ご協力のほどを何卒宜しくお願いします。


上記シンポジウム開催に向けまして、趣旨に賛同頂ける方へご寄付のお願いをしております。

これまで寄せられた寄付金で今回のシンポジウムの費用を賄う目処が付きました。ご寄付を賜りました皆様には、改めまして心よりお礼申し上げます。


すでに第二回シンポジウムの開催(2006年1月8日開催予定)についても検討にはいっており、今回の余剰金などを充てる予定ですが、継続してこうしたシンポジウムなどを開催するには、一定の資金を確保しておく必要があり、改めてご寄付のお願いをさせて頂ければと思います。


皆様、一人一人のご協力により、様々な形で韓国問題に関して問題提起が出来れば幸いと考えております。

寄付金収入(寄付金額のみ公開します)・シンポジウム関連予算などにつきましては、告知サイトなどで月ごとに集計を行い、全て公開してまいります。

ご寄付は、下記「日韓歴史問題研究会代表口座」へ直接ご入金下さい。

ご寄付に際して領収書が必要な方は、大変お手数ですが、ご入金後メールにて送金者名・ご寄付頂いた額・領収書の宛名(必要なければ上様となります)・送付先(氏名・郵便番号・住所)をお知らせ下さい。
日韓歴史問題研究会代表名で領収証を郵送いたします。


日韓歴史問題研究会 代表口座

りそな銀行 イーバンク支店  支店番号942 普通預金0114485
受取人名: イーバンクギンコウ(カ


送金に関しましてはくれぐれもお間違いのないようお願いいたします。

サイト開設から初めてのご寄付のお願いで大変心苦しく思っておりますが、もし皆様からの暖かいご協力を得られるならば誠に幸いと存じます。
何卒よろしくお願いします。


シンポジウムに関する全ての問い合わせはDoronpa までお願いします。

本サイトに戻られる方はこちら をクリックしてください。